被災者の境界線

 3月11日。また重苦しい復興圧力だらけの1日だった。ネット、テレビ、新聞、あらゆるメディア上で語られる「被災者」のエピソード。ほとんどが身内を亡くした方の10年間の歩みを紹介している。私も被災し、家が流された身ではあるが、この幾度となく使われる「被災者」という言葉に違和感を覚える。

 

 そもそも、東日本大震災における「被災者」とは誰のことを指すのだろうか? 身内を亡くした人、家を流された人、仕事を奪われた人、仮設住宅に住まう人、色々な背景があるだろう。ここで語られないのは、例えば内陸で地震の被害によって家を引っ越さざるを得なかった人や、自身は内陸に住んでいたが知人を津波で亡くしたなど、表に出てこない被災者の存在、「見えない被災者」である。

 

 メディア上の胸が締め付けられるエピソードは、確かに「被災者」たらしめるものであるし、教訓を伝承していく面では、誤解を恐れずに言うと「わかりやすい物語」だ。ただ、こればかりに偏重してしまうと、被災のエピソードそのものが縮こまり、読み手にとっては「私の知らない誰かの悲しい話」ぐらいにとどまってしまうのではないか。想像力のある読み手であれば、こんな被害を出さないために、自分自身の行動を変容させようとするだろう。ただ、大多数の非被災者はお涙頂戴の物語に飽き飽きしてくるのではないだろうか。

 

 「わかりやすい物語」が被災者を殻に閉じ込めさせ、いつまでも被災者のレッテルを知らずのうちに貼り付けられ続ける。そして、見えない被災者との分断を生む。さらには大多数の読み手にとって、「かわいそうな人たち」と被災者は片付けられ、1年に1回憐みの目を向けられる存在でしかなくなってしまう。誰にでも災害は襲ってくるという教訓を伝え続けるのであれば、被災の有無や被害の大小など関係ないはずだ。より多くの身近な事例を挙げ、想像力を掻き立て続ける。見えない被災者の存在を明らかにする。それがメディアに求められることだ。明確な線引きは圧倒的な距離感を生む。

 

 10年という年月が、まだ復興は途中ですという陳腐な区切りとなって欲しくはない。被災者と見えない被災者、そして非被災者の境界線をあえて曖昧なものにし、より自分事として震災というものを受け入れられることとなってほしい。